どこかで「占い師は料理上手な人が多い」というのを見ました。
そうかもしれない、と思いました。
占いも料理も知識と感覚を巧みに操るクリエイティブな作業です。
だがしかし、残念なことに私は料理が大の苦手です。
まず、非常に不器用で、細かい作業が向いてない。
大っ嫌いなみじん切りをしていると途中で「うわあああ!!」と投げ出したくなります。
あと、案外(?)気が短くて大雑把です。
弱火でコトコト…うーん、まだかな?えい!ちょっとだけ火力MAX!(焦げます)
計りできっちり計る…あ!手が滑った!まあ大体でいいか。(よくない)
あと片付けも苦手で…書いてて悲しくなってきたので、私の話はここら辺で。
そんな私ですが、家族も増えていい加減このままではいかん、というわけで、
初めて料理本を買いました。
滝沢カレンちゃんの「カレンの台所」
初めての料理本がこれ!?という声も聞こえてきそうですが、話題になるたびに、私は彼女の独特な表現に感銘を受けていました。
確かにめちゃくちゃな日本語ではあるんですが、不思議とイメージが浮かびませんか?
私が思うに、彼女は抽象的なものをより細部にわたって捉える力と、その捉えたものに一番近い言葉を見つける回路が非常に優れているのです。
きっと普通の人が"常識"で通行止めにしてしまう言葉への道も、彼女は自由自在に行き来して表現する、そんなとてつもない才能を私は感じていました。
で、『カレンの台所』を読みました。何品か実際に作ってみました。
結論から言います。
生まれてはじめて「料理が楽しい」と思いました(泣)
大げさではなく、今までで一番楽しく、一番おいしくできました。
レシピを読むと映像が浮かび、触感もまさに手に取るようにわかるのです。
すごい。ありがとう。
泣きそうです。(意外と料理下手がコンプレックスだったのですね。)
タロット占い師としては、インスピレーションを刺激されるがまま実行していく作業で、アドレナリンが出ます。気持ちいい。
料理はクリエイティブなものとわかってはいても、今まで体感できなかった私。
たぶん、苦手意識が邪魔をして、レシピの数字や言葉に囚われすぎていたのです。
(にしては、持ち前の大雑把を変に発揮して失敗する。)
例えば、玉ねぎのみじんぎり。
"子供の頃に糸を通して遊んだビーズくらいにしてください"
ブリ大根の大根。
"ブリをぼーっとさせてる間に、大根を食べたいなと思える形に切ってください。"
サバの味噌煮に入れる砂糖。
"きっとここを踏んだらややジャリジャリしそうな程度入れます。"
「これくらい」というイメージは確かに浮かびます。
でも、それはひとりひとり同じではないはずです。
なのに、どのイメージも正解なんです。
冒頭にこう書かれています。
"基礎も 決まりも 間違いも 答えも ないのだから 自分だけの味 自分だけの作品があっていい"
まさに。
今まで料理の腕に自信がなくて、レシピの中に答えを一生懸命探してました。
レシピ通りにいかないと「不正解!」と言われたようで悲しくなりました。
でもこの本は、私の中にある私だけの答えを見つけるお手伝いをしてくれるのです。
料理って、もっと自由でいいんだ。
この本は、その人が料理を作る過程すべてを肯定し、尊重してくれます。
同時に楽しませ、元気付けてくれます。
これは彼女の人柄なのでしょうか。
私も占い師として、こんなふうにありたいものです。
何品か作って料理の楽しさと美味しさに目覚めたので、いずれ全部のレシピを試してみたいなあと思っています。
肉じゃが、鶏のさっぱり煮、中華丼、チキン南蛮、アクアパッツァ…王道のメニューばかりなのが嬉しいです。
ここにあるものを一通り覚えれば、飽きのこない子供たちにも人気の夕飯が作れそうです。
「あれ作って!」って家族からリクエストされたりして。
私のような料理に苦手意識のある初心者にこそ、ぴったりな本だと思います。
もちろん、もともと料理が得意な人は自分なりのアレンジを加えて新たな境地に至りそうな気もします。
最後に、「占い師は料理上手な人が多い」という話をしましたが、滝沢カレンちゃん、絶対に占いをやったらすごいと思います。
だってこの表現力ですよ?(正しい日本語かは置いといて、伝わるのが重要です。)
例えばタロットだったら絵柄から得たインスピレーションをどうやって言葉にするか、これが占い師の腕ですよね。
ちょっと(いやかなり)羨ましいなあ、と思う私でした。
今日も常人離れした表現力に良い刺激をもらいながら、ブリ大根を作りたいと思います。
琴森はる
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